半田そうめんの歴史

中国から伝わり、南北朝時代から食べられてきた、そうめん。

平安時代には既に宮中料理として浸透していたそうです。

室町時代に今の形に落ち着き、全国でご当地そうめんがたくさん生まれました。

そのそうめんたちの中でも、半田そうめんの歴史は古いのです。

1754年に書かれた「日本山海名物図会」に
「大和三輪さうめん、細きこと糸のごとく、白きこと雪の如し、ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶところにあらず、又阿波より出づるもの名産なり。三輪さうめんにおとらず。」
と記されています。

阿波は徳島、半田のことを指していますから、この記述より以前にそうめんがつくられていたことが分かりますね。

およそ300年近く、江戸時代から半田そうめんの歴史があると考えられるでしょう。

半田そうめんの歴史の起源は諸説あるそうですが、当時小野浜港より撫養方面へ運航していた平田舟の船頭が、冬場に自給用や副業としてつくり始めた、というのが有力です。

今の奈良県三輪町から淡路、鳴門を経由して、半田に製麺の方法が伝えられたそうです。

半田を流れる吉野川を流通して伝わったのですね。

小麦、塩、油などの原料を運ぶのに、船という交通手段は最適だったのでしょう。

船頭さんたちがやりやすいように作られた太い麺が、その後も大事に受け継がれていき、半田そうめんの特徴となったのですから、歴史というのは面白いものです。

 

 

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